嗅覚過敏なゆとりの申し子日記

ゆとり世代の嗅覚過敏な自分が、個人的に考えたことを綴る日記です。

『万引き家族』を観て

先日、『万引き家族』を観ました。

様々な方が分析・考察をされているので、あくまで個人的な感想を。

 

※参考:あらすじ

 

 

ネグレクト、貧困問題、非正規雇用孤独死…。

登場人物全員が上記のような問題をそれぞれ抱えていて、一人で生きていくことが困難な状況だ。

各々は“他者”を必要としているが、それぞれ“家族”というコミュニティが崩壊しているため、“疑似家族”というコミュニティを作ることで、お互い助け合って暮らしている。

 

ただし各々が“疑似家族”の一員としての役割を果たす(=金銭的価値をもたらす)ためには、稼ぐ能力を持っていないため、“万引き”でしか貢献できない。

“家族”全員が犯罪者だが、お互いの利害関係が一致しているが故、割り切って暮らしていた。

 

ところが“祖母”の死をきっかけに、“疑似家族”は崩壊していく。

今まで描かれてきた“万引き”は、親に見捨てられた幼女やお店の商品など、“まだ誰のものでない(と感じられる)もの”をターゲットにしてきた。

しかし“祖母”が亡くなってからの“父”と“母”は、年金不正受給や車上荒らしなど、“他者のもの”まで“万引き”するようになっていく。

そんな“父”と“母”を見た“息子”は、“万引き”に疑問を持ち始める。

 

そしてある日、スーパーで商品を“万引き”をしようとした“息子”は、わざと店員に見つかり、逃げる途中で怪我を負い、病院に運ばれた。

他の“家族”は、そんな“息子”を放置して逃げようとしたところ警察に捕まり、“疑似家族”は解散となった。

“正義”によって各々元の場所へと戻り、世間としては一件落着に見えるが、当事者にとって元の場所が幸せなのかは疑わしい。

“正義”が正しいのか、善と悪の違いとは何か、を突きつけられる作品だった。

 

 

地域や企業のコミュニティは失われ、家族(=血族)のコミュニティも揺らぎ始めている日本社会。

万引き家族』のように、相手に過度な期待や憎悪を抱かなくて済む、ゆるやかなコミュニティが必要なのかもしれない。