休職から3ヶ月が経過して
適応障害と診断され休職してから、ちょうど3ヶ月が経過しようとしています。
最近、“自発的”な行動ができるようになってきたので、この3ヶ月を振り返りつつ、これからの生き方の展望を書き留めておこうと思います。
そもそも、適応障害が正しい診断名なのかは分かりません。
そして何が原因なのかも、確実なことは分かりません。
ただ言えることは、私の職場は相対評価で査定され、ある程度フローが把握できるようになると自己目標が曖昧になり、昨年頃から仕事の目的がお金を貰うことだけになっていました。
しかし昨年は、結婚という大きなライフイベントがあり、結婚式や新婚旅行などのプランを考えることで、なんとか仕事はごまかしながらこなしていました。
またマネジメントという仕事は、日々神経を消耗します。
人と話すときは絶えず、咳が出るようになっていました。
帰宅すると食事や入浴する力も尽き、化粧をしたままソファーに倒れこむように寝ることもあり、さらに生理不順も起き始めました。
そして休職直前の4月、心ここに在らずという感じで仕事をしていたため、社員全員の前で上司から叱責されたことで、遂に心が折れてしまいました。
休職後はすぐにGWがやってきて、事前に計画していた旅行においては、トラブルもなく楽しむことができました。
しかしGW明け、完全に無気力となります。
洗濯物の山や汚れた部屋を片づけることは疎か、食事を作ることも面倒に感じ、ベッドとソファーを行き来するだけの生活を送っていました。
自宅で休んでいても、家事すらできない無価値な人間なんだという罪悪感から、さらに落ち込みました。
そこで引きこもる生活もやめようと、近所のカフェ巡りを始めました。
インスタのハッシュタグ検索で、近所のカフェに入店してみると、店主のこだわりが詰まったお店にたくさん出会いました。
そんな生活を1ヶ月ほど送っていると、今はこのフルーツが旬なのかと気付かされたり、発酵バターのコクや、全粒粉のザクザクとした食感の美味しさを知ったりと、だんだんと食材に興味を持ち始めました。
そして遂に先週から、料理教室のケーキコースに通い始めました。
旬や食材にこだわったスイーツを、自分でも作ってみたいという欲望が生まれたからです。
その料理教室は、メニューも日程も先生も場所も自由に選択できるので、あまりストレスなく学べることができます。
普段の料理は夫に任せてしまうほど料理は苦手ですが、“自発的”な目標ができたことにより、今まで放置していた家事も少しずつこなせるようになりました。
さらに今月から、地域のイベントのボランティア活動も始めました。
毎回内容が異なるイベントの単発的なボランティアなので、マウンティングされるような息苦しさもなく、自分の予定や興味に合わせて、楽しみながら今のところ活動できています。
こうした料理教室やボランティアなどの活動を通して感じることは、家庭や職場以外の居場所を作ることの大切さです。
“○○しなければならない”ではなく、“○○したい”という動機で活動すると、自己肯定感が生まれます。
またそういった活動をする際は、なるべく人間関係のしがらみのない、ゆるやかなコミュニティの中で、“自発的”な行動ができる環境であることが大事だと思います。
ただ家庭や職場が忙しい環境だと、それにプラスして、新たな活動をするのは難しいことだということもよく分かります。
だから私は、家事やお金を優先する生き方はやめて、“自発的”に取り組みたいことを優先する生き方にシフトチェンジしていこうと思います。
もちろん今後の金銭面での不安は、かなり大きいです。
ですが正社員という安定を捨ててでも、アルバイトなどで何とか最低限の収入を得ながら、多拠点の活動をしていこうと考えています。
収入の安定はなくとも、心の安定につながると実感したからです。
まだ長時間外出するとぐったりしたり、生理前の身体の怠さと精神的不安定をコントロールできなかったりと、完全な社会復帰は難しいですが、かなり回復してきたと実感しています。
正社員生活で最後に得た休職という安定を今はフル活用しながら、新たなチャレンジの準備をして、晴れて完全復活を遂げたら、新しい生き方をスタートしたいと思います。
『たぷたぷたっぷ。』に参加して
先日、川崎市民ミュージアムにて開催された『たぷたぷたっぷ。』に参加してきました。
motty&charuというピアノとタップダンスのデュオによる、タップダンスのワークショップです。
タップダンスの歴史の説明においては、タップダンスがなぜ生まれたのか考えたことがなかったため、興味深く拝聴しました。
①アメリカのアフリカ人奴隷が、楽器や言葉を奪われて、足で会話をした
②アイルランドの兵隊が、窓から見える上半身は動かさず、足で会話をした
どちらの歴史も、口での会話を禁じられていたからこそ、足で会話をするという文化が生まれたそうです。
つまり、“足音で相手に自分の思いを伝える”ということが起源なのです。
生で見て実感したタップダンスの魅力は、ダンスと同時に“音が鳴っている”ということです。
一般的なダンスは“音に合わせて”ダンスをしますが、タップダンスは“音を作りながら”ダンスをします。
実際に生で見ると、足音の強弱やスピードによって“音楽を演奏している”ことが分かります。
身体の動きだけでなく、身体の音も加わえて表現をすることは、ダンサーの表現力がより伝わり、タップダンスの起源を思い起こさせます。
さらにcharuさんの表現方法として、ピアノのやわらかな演奏や、ダンサーの後ろに映し出されたスライド画像と共に、ダンスをしています。
これによって情感や情景がプラスされ、その世界観に没頭できる感覚がありました。
ダンスと同時に音が鳴っているというタップダンスの魅力は、私の趣味であるミュージカルやフィギュアスケートにも共通点があります。
ミュージカルは、演技や台詞と同時に歌を歌います。
またフィギュアスケートは、スケーティングと同時にダンスをします。
こうした複数の要素をハイブリッドすることで、表現力が増大する芸術が、私は好きなのだと気付かされました。
またcharuさんも仰っていましたが、タップダンスには“コレが正しい”ということはありません。
そのことが、純粋に“音とダンスを楽しむ”ことができ、心地よい空間が生まれていたように感じます。
一般的なダンスや音楽は、「ミスをした」ということが分かりやすいため、表現者と観客との間に緊張感が生まれやすいと思います。
(特にバレエやクラシック音楽などはそれが顕著で、咳払い一つするのも躊躇われて、ついに呼吸することさえ苦しくなるような感覚に個人的には陥ります)
そもそも“ミス”という概念がない空間によって、参加者の大半が親子だった今回のワークショップは、純粋に“音とダンスを楽しむ”ことができたのではないかと思います。
最後に、ミュージアムショップに立ち寄ると、かこさとしさんの絵本とそれらのキャラクターグッズが販売されていました。
そのなかで『からすのパン屋さん』Tシャツに一目惚れして、おもわず購入してしまいました。
どうやら7/7(土)〜9/9(日)まで『かこさとしのひみつ展』が開催されるようです。
ぜひ鑑賞しに、また伺おうと思います。
『万引き家族』を観て
先日、『万引き家族』を観ました。
様々な方が分析・考察をされているので、あくまで個人的な感想を。
※参考:あらすじ
登場人物全員が上記のような問題をそれぞれ抱えていて、一人で生きていくことが困難な状況だ。
各々は“他者”を必要としているが、それぞれ“家族”というコミュニティが崩壊しているため、“疑似家族”というコミュニティを作ることで、お互い助け合って暮らしている。
ただし各々が“疑似家族”の一員としての役割を果たす(=金銭的価値をもたらす)ためには、稼ぐ能力を持っていないため、“万引き”でしか貢献できない。
“家族”全員が犯罪者だが、お互いの利害関係が一致しているが故、割り切って暮らしていた。
ところが“祖母”の死をきっかけに、“疑似家族”は崩壊していく。
今まで描かれてきた“万引き”は、親に見捨てられた幼女やお店の商品など、“まだ誰のものでない(と感じられる)もの”をターゲットにしてきた。
しかし“祖母”が亡くなってからの“父”と“母”は、年金不正受給や車上荒らしなど、“他者のもの”まで“万引き”するようになっていく。
そんな“父”と“母”を見た“息子”は、“万引き”に疑問を持ち始める。
そしてある日、スーパーで商品を“万引き”をしようとした“息子”は、わざと店員に見つかり、逃げる途中で怪我を負い、病院に運ばれた。
他の“家族”は、そんな“息子”を放置して逃げようとしたところ警察に捕まり、“疑似家族”は解散となった。
“正義”によって各々元の場所へと戻り、世間としては一件落着に見えるが、当事者にとって元の場所が幸せなのかは疑わしい。
“正義”が正しいのか、善と悪の違いとは何か、を突きつけられる作品だった。
地域や企業のコミュニティは失われ、家族(=血族)のコミュニティも揺らぎ始めている日本社会。
『万引き家族』のように、相手に過度な期待や憎悪を抱かなくて済む、ゆるやかなコミュニティが必要なのかもしれない。
等々力渓谷おさんぽ
先日初めて、等々力に行ってきました。
まずは、念願の“宝石パフェ”を食べにパティスリーアサコイワヤナギさんへ。
ちょうど月初で、5月の“パルフェビジュームロン”と、6月の“パルフェビジュースリーズ”を同時にいただくことができました。
もう食べられないと思っていたメロンを食べることができて、非常に嬉しかった!
メロンはワインをかけながらいただくジューシーな味わいで、さくらんぼはピスタチオジェラートやヨーグルトと共にいただく濃厚な味わいでした。
そしてどちらも食べ進めていくと、甘味から酸味へと変化していき、飽きることなく完食できました。
ドリンク付きで3,000円と贅沢なパフェですが、また違うフルーツのときに食べたくなってしまいそうです。
さて食後、パフェのカロリーを消費すべく、等々力渓谷に行ってきました。
東京23区内唯一の渓谷だそうで、周囲の気温よりも3度ほど低く、ひんやり爽やかな場所でした。
階段を下りると、すぐ現れるのが“ゴルフ橋”。
昭和の初め頃、東急電鉄が開発した広大なゴルフ場が近くにあったことに由来しているそうです。
周囲の緑と赤い橋のコントラストで、おもわず写真を撮りたくなる橋です。
橋をくぐると、そこは都会とは思えない大自然。
地層の断面や湧き水も見ることができます。
これは、稚児大師堂の前にあった手水舎。
生きもののような形をしていて、なんだか可愛い。
その手水舎の近くにある橋を渡ると、不動の滝が表れます。
2匹の龍の口から湧き水が流れ落ち、その上には不動明王の石像があります。
この湧き水の音が「轟く」ことから、地名が「等々力」になったという言い伝えもあるそうです。
この滝の先にある階段を上ると、“等々力不動尊”があります。
伺ったときはちょうど、茅の輪くぐりの時期。
茅の輪くぐりとは、今年半年の穢れをお祓いし、残りの半年が無病息災であることを願う風習だそうです。
こちらの茅の輪の中央には、カラフルな紐があり、それに触りながらくぐると、ご利益があるとのことでした。
そしてこちらが御朱印。
不動尊ならではの凛々しい朱印です。
不動尊の対岸には、日本庭園・書院があります。
書院の中には、冷水やお茶が用意されているので、一休みすることができます。
床の間には、大きな折り鶴が飾られていました。
最後に、渓谷近くの“野毛大塚古墳”へ。
帆立貝形古墳だそうで、前方後円墳に近い形です。
しかし見た目は、ただの小高い丘という印象で、近所の子どもたちの遊び場と化していました(笑)
等々力は、ふらっと散歩がてら、気軽に自然を楽しむことのできる場所でした。
『かぐや姫の物語』を再び観て
先週の金曜日、『かぐや姫の物語』がテレビで放送された。
上映されたときに自分も映画館で観ていたが、当時は未熟で、そこまで心が動かされなかった。
その後ネット上での感想を見て、『竹取物語』をビジュアル化しつつ、現代日本が抱える問題とマッチさせた素晴らしい作品であったことに気づかされた。
子供時代は、地球の自然に囲まれて、“人間としての幸せ”を全身で感じていたかぐや姫。
しかし、翁はかぐや姫に“女性としての幸せ”を叶えてあげるべく、山里から都へと移り住み、“高貴の姫君”に相応しい躾を宮中の相模に依頼し、かぐや姫は美しい女性となった。
だが、周囲はかぐや姫を外見でしか判断せず、“人間としての幸せ”を感じることができなくなってしまった。
そして“高貴の姫君”になることを拒絶したかぐや姫は、月へと戻されるという結末だ。
ここで指す“女性としての幸せ”とは、素敵(お金持ちでイケメン)な男性と結婚すること。
そして“人間としての幸せ”とは、喜びや悲しみを他者と分かち合うことだと思う。
(月に帰るシーンで、天の女官が「月にお戻りになれば、心ざわめくこともなく、この地の穢れも拭い去れましょう」という台詞に対し、かぐや姫は「喜びも悲しみも、この地に生きるものは、みんな彩りに満ちている」と反発する台詞にも表れている)
“女性としての幸せ”が“人間としての幸せ”とは限らない。
(相模がかぐや姫に化粧をするシーンで、「高貴の姫君は人ではないのね」と言うかぐや姫の台詞にも表れている)
その事実に、現代日本の多くの人々は、未だに気づくことができていないからこそ、高畑監督は『竹取物語』を今描くべきだと思ったのだろう。
「かぐや姫の物語」が凄いところは、あれが完璧なシンデレラストーリーだということれす。貧しい生まれの少女が周囲の誰からも愛され、やがて一国の王から身も世もなく求愛される。少女漫画の王道であるにも関わらず、これほど多くの人が「何の救いもない」という。誰も「かぐや姫いいなあ」と言わない
— cdb (@C4Dbeginner) 2015年3月13日
このツイートにもあるように、山里で育った女性が、“高貴の姫君”のステータスを手に入れるシンデレラストーリーであるにも関わらず、観る側に帝を気持ち悪いと思わせ、かぐや姫が哀れであると思わせた描き方が素晴らしいと思った。
高畑監督は、もう一作『平家物語』を作りたいと話していたそうだ。
もし実現していたら、“男性としての幸せ”へのアンチテーゼを描こうとしていたのではないかと思うと、未完成となってしまったのが非常に惜しまれる。
『永い言い訳』を観て
『永い言い訳』を観ました。
若い女性と浮気をする夫としてクズな主人公。
妻の事故死をきっかけに、同じ境遇を持つ遺族と出会い、交流をするというストーリー。
この話が良かったのは、遺族の交流を通して、主人公が良い人に変化したという短絡的な結末ではない部分だ。
主人公の本名が、“きぬがささちお”という偉大なプロ野球選手と同性同名であることを、人前では隠す場面から、本当の自分に自信がないことが表現されている。
また、自分の遺伝子を残したくないという理由で、子供を作らなかったことも、自分を受け入れることができていないことが分かる。
そして妻が亡くなり、お互いに愛し合うことすらできなかった事実にも向き合えなかった主人公は、遺族の子供たちの世話をすることで、自分がクズであるという現実から目を逸らしていた。
そんな主人公とは対照的に、悩みながらも自分の今の人生を懸命に生きる遺族と交流していくと、だんだんと自分自身に後ろめたさを感じるようになる。
最後に主人公が、“永い言い訳”というタイトルの小説を出版する結末は、クズな自分をやっと受け入れることができたことの証なのではないだろうか。
そして遺族の子供からプレゼントされた、妻の写真が入ったフォトフレームを受け取り、部屋に飾ることで、自分の人生を受け入れることができたのだと思いました。
佐々木俊尚さんと小野美由紀さんのトークショーに参加して
昨日、佐々木俊尚さんと小野美由紀さんとのトークショー「疲れない“つながり”をどうやって作る?自分サイズに合う人間関係の築き方」に行ってきました。
佐々木さんについては、以前からTwitterやFacebookをフォローしていました。
小野さんについては、安富さんとの対談記事を読んで、著書『メゾン刻の湯』を知りました。
早速気になり読んでみると、ストーリーの中に、人間の弱さに対する視点の鋭さが散りばめられており、すっかり小野さんのファンになりました。
小野さんのTwitterをフォローしたところ、今回のイベントを知り、参加することにしました。
実際に拝見すると、佐々木さんは非常に冷静で、ご自身でも仰っていた通り、今この瞬間を楽しむことに長けた方という印象を持ちました。
そして小野さんは、佐々木さんへの質問を事前に準備してくる真面目な方で、相手の発言を自分の中でゆっくり咀嚼しながら対話し、自分が納得できない発言については感情的になるような素直な方という印象でした。
トークの中で印象的だったのは、「今後は、コミュニティではなく、銭湯やカフェ等、コミュニケーションを取らなくても成立する場を作ることが求められる」という佐々木さんの言葉です。
“コミュニティ”に所属してしまうと、マウンティングが行われ、人間関係のしがらみに疲れてしまう。
しかし完全に自由に生きていくには、“個のブランディング”が必要となり、私達“凡人”は生きづらさを感じてしまう。
そのため、人間関係が流動的な居場所がベストというお話でした。
例として挙げられていた“大学”という場所も、確かに居心地が良かったなと感じます。
一つのコミュニティに縛られることなく、ゼミに入ったり、サークルに入ったり、バイトをしたりと、複数の居場所があり、社会人になってもそんな生き方をしたいなと思っていたところでした。
私は現在、会社内の人間関係の疲弊により心身を崩し休職中ですが、生きていくためにはお金が必要だし、今後は育児もしたいという想いもあり、社会保障が完備された正社員というステータスは、苦しいけれども捨てない方が良いのかもしれないと悩んでいたところでした。
でも今回のトークを聞いて、収入は減ってしまうかもしれませんが、もっとゆるく働きながら、今この瞬間を楽しむ生き方にチェンジしていこうと背中を押してもらえました。
ただ今回はトーク時間が1時間と短かったので、ちょっと物足りなかったです。
特に、小野さんの持論をもっと伺ってみたかったです。
その物足りなさを、今回購入した佐々木さんの著書『広く弱くつながって生きる』を読んで埋めてみようと思います。